2014年7月28日月曜日

ご無沙汰しています

随分久しぶりの投稿となってしまいました。
夏期講習の準備やら合宿やらで事務作業に追われ・・・
講習も開始したのでこれからはもう少し頻度も上がると思います(^_^;)

さて、そうそう合宿と言えば、先日、当塾では初めてとなる「やりこみ勉強合宿」を静岡県沼津市で行いました。

この合宿のコンセプトは「自分との約束を守ることで自信をつける」こと。

結論から言えば合宿は大成功!

参加者6名全員が自分との約束を守り、自信を付けることができました。

実際に掲げた約束は
大学受験生は、1日800個の英単語暗記+文法テストの暗記。
中3は、問題集を2冊終わらせる…などなど。

1日800個の英単語の暗記+文法テストの暗記というのは、
書いてしまえば簡単に見えますが、実際にやるのは結構大変。
皆毎日夜中の2時ころまで起きて朝は7時起き。
仮眠を取りながら課題をこなし、脳はぷるぷる、体はへろへろの状態でした。

でも、3日で2400個を覚えられた経験はとてもいい経験だったのではないかと思います。
やればできるんだよね。


辻個人的な学びは、世の中のお母さんがいかにすごいかということ。
夕飯や朝食の支度に1~2時間はかかるのに、10分でお皿が空になるこのむなしさ・・・
仕事をしながら家事をこなす世の中のお母さんはすごい。ほんとにすごい。
感謝しなければいけませんね。

2014年7月5日土曜日

書き続けることの大切さ

私は受験生当時は現代文にて受験をしたため、
AO入試や志望理由書の指導をしたことはあっても、
小論文の受験や小論文の対策を自分の為にしたことはありません。
(あ、大学院はあるけど、大学受験のね。)

ただ、当塾は2~3年前からSFCに焦点を絞ったターゲットを設定しているため、
最近は現代文担当講師の私も、土曜夜の小論文の講座に今期から研修として参加しています。

そこでのあつしくん(仮名)の変化がすさまじい。
4月には目も当てられなかった(笑)文章で、読むに耐えず(いいすぎ。笑)、
あつしくん(仮名)が書いた文章の内容がまったく頭の中に入って来ない状態だったのが、
きちんと整理され、論理が通っている文章を書けるようになったなぁと思いました。

あつしくん(仮名)のすごいところは、「一度も宿題をしなかった」ということがないこと。

受験生に限らず、担当している講師でさえ、毎日が忙しい生活を誰もが送っています。
その中でのベストな時間の使い方をしなければならないのは皆同じ。
時間だけは誰にでも平等。

授業内容にもよるけど、基本的には、
学校の授業も、予備校の授業も、塾の授業も、宿題をやらずに授業を迎えると、
きっとその授業で得られることは3割になるでしょう。
だって、授業の目的は、先生の話を聞くことではなく、自分の能力を伸ばすこと。
自分の能力を伸ばすためには、課された宿題をやらなければそのスタートラインに立てない。
小論文の授業はその最たるものだと思います。

書かずに小論文の授業に出て何をするの?って感じ。
本文の読解の確認だけして終わるじゃん。でもそれって本番だと確実に0点だよね?

いくら他教科の勉強が忙しくても、小論文の授業で毎回欠かさず答案を書いてきて、
現代文の授業で毎回定期的に文章を読み、要約を書くことをねばってやってきたあつしくん(仮名)。
もちろん当たり前といえば当たり前なんだけど、これが出来ない人が意外と多いんだわ。
その努力の実りが見えて、担当講師としてはとても嬉しい今日のできごとでした。

2014年7月2日水曜日

講師 高橋の言葉遊び アナグラム編

こんにちは、ロゴスIES、講師の高橋です!

先日、大学の授業でアナグラムについて学びました。

アナグラムというのは、ある言葉の順序を入れ替えて新しい意味のある言葉にする言葉遊びのことです。

そんなアナグラムにはまっております。

今回は、ロゴスが夏に合宿に行く場所、口永良部島(くちのえらぶじま)の「KUTINOERABU (くちのえらぶ)」を使って、アナグラムを作ってみました!

~KUTINOERABUを入れ替えると...~


バイトくれぬ (BAITOKURENU)

イカのテーブル(IKANOTEBURU)

ライブのつけ(RAIBUNOTUKE)

ベロに勝つ卯(BERONIKATUU)

ボケなる家(BOKENARUIE)

神戸、ニラ通(KOUBE NIRTATUU)

えびのつらく(EBINOTURAKU)

ベニア取る子(BENIATORUKO)

ツバルの駅(TUBARUNOEKI)

ボラ、肉撃て!(BORA NIKUUTE)


ここで紹介させてもらった10個以外にも、意味が通りづらいもの、よく分からないもの、アナグラムの断片(単語だけ)などがたくさんありました。

三十分程度考えてましたが、思った以上に思いつく!というのが このアナグラムの魅力だとおもいます。

普段私たちは、音の集まりに一つの意味を与えていますが、その意味だけに捕らわれているのかもしれません。 

その意味を一度分解してみると、言葉というものは、思った以上の可能性を含むものなのだ、ということに気づかます。



音に意味を与えた人類の偉大さとそれに捕らわれて生きる私たち。

同じ人間なのに彼らは何故こんな偉業を達成できたのか、こんなことに思いをめぐらす。そう今日は半夏生。

2014年6月19日木曜日

頭で考えていることと、言葉で伝えること

昨日のあつしくん(仮名)。

頭の中で考えていることを文字にしてくれる機械があったらいいのに、
と授業中にぼやいていました。

確かにそんな機械があったら便利だよね。


でも、実は、私はそんな機械がもし本当にできてしまったら、
人間の思考力(考える力)と表現力(自分の考えたことを伝える力)は
衰えてしまうのではないかと思います。

人は頭の中で考えるけど、
自分の頭の中で考えていることを言葉にしなければ、
相手に思いを伝えることはできない。

いくら頭の中でものすごく素晴らしい考えを持っていたとしても、
それを伝える言葉がなければ、
その言葉を受け取る相手が言葉を解釈する力を持たなければ、
相手に思いを伝えることもできない。
相手の想いを受け取ることもできない。
私たちが「伝わった」と思うことも、
どこまでも自分の勘違いかもしれない。

私はそのために「国語」を学ぶ必要があるのではないかと思います。

自分の頭の中の考えと、表現する言葉を一致させる作業を、受験問題を通してやってみる。

よく「分かっているのに書けないんだよな~」とぼやいている生徒を目にしますが、
本当に分かっていれば書けるはず。
人に説明できないということは、どこか自分で消化しきれていない部分があって、
書けないということは、整理しきれていない部分があるということを
忘れないで欲しいと思います。

2014年6月18日水曜日

<われ>と<われわれ>

今日も問題集から。


私たちは本来、<われ>の一人として、自覚を持ち、責任感をもち、行動するはずなのに、
都会の人間ほど<われわれ>の中に埋没し、責任感を持たなくなる。
なぜなら<われわれ>とは<われ>を匿名化させるものだからだ。


この文章も、前に読んだ慶應法学部や東大とリンクします。
田舎では、顔なじみの人がたくさんいるから、下手なこともできないけど、
都会では、隣の人の顔すら知らないなんてこと、ざらにあるもんね。
そうなると、誰かに責任をおしつけたり、悪いことをすることも簡単にできちゃう。

ロゴスでも田舎住まいを経験したTさんがいましたが、その方の話で印象的だったのは、
ゴミをちゃんと分別しないと、周りに白い目で見られること。
東京ではあまり見られないことだよね。

2014年6月13日金曜日

「高度技術社会」を支えているもの


今回も問題集からです。


現在の「高度技術社会」を支えている精神的基礎の
1つは、競争心。1つは、「不快」を避ける心である。
今の社会は「不快」の源そのものを追放しようとする結果、
「不快」のない状態=「安楽」を優先的価値として追求することになった。
しかし、これは「不快」の対立概念としての「安楽」ではなく、
本来の「安楽」ではない状態、「不快」のない状態を指している。
そしてその「安楽」を他の全ての価値よりも中心に置くと、
「安楽」の狂おしい追及と、「安楽」喪失へのいらだった不安によって
心中が満たされてしまう。


これは、なんか、前に読んだ慶應の法学部と近い感じがしました。
あれの後半は、不安を防犯カメラで解決しようとする話だった。
不安を技術で解決しようと思うと、うまくいかないんだよね。
それは、不安がなくならないことが不安になっちゃうから。

本当に私たちが目指すべきなのは不安がなくなった状態なのか?

犯罪がない、戦争がない、治安が悪くない
というよりも
家族がいて、おいしいごはんが食べれて、あたたかいお布団で寝れる
ことが安心で快適なのではないか?

ということだよね。

不安の反対の安心≠不安がない状態
というお話でした。

慶應でも問題集でもある大学の内部試験でも、このテーマは見ました。
割と出てくるテーマなのかも。

2014年6月12日木曜日

問題を解くときは、問題文に戻るのがいいのでしょうか?

一週間ぶりになってしまいました。
雨がしとしと。体調も崩しやすいですね。

タイトルは、昨日あつしくん(仮名)と議論になったことでした。

結論から言えば、私は問題を解くときは、問題文に戻った方がいいと思います。

現代文の読解は基本的には「主観」で行うものです。
「客観」的に読むことはできません。
(この理由が分からない人は、主観と客観がテーマの文章を読みなおしましょう)

だから、課題文を読んでいるうちに、無自覚に主観的に解釈してしまいます。
主観的に自分の経験に置き換えて文章を解釈することは、
課題文の読解にはとてつもなく重要です。

なぜなら、本文に並べてある抽象的な言葉を、
自分の体験に置き換えて考えることこそが、
その文章の本質的な理解につながるからです。

でも、課題文にくっついている問題は、概して細かい解釈を聞いてきます。
課題文の概要を理解できていても、細かいことまで一読しただけでは覚えられないでしょう。
それが普通です。
だから、多少面倒でも、迷ったら課題文の該当箇所に戻って問題にあたるべきだと私は思います。
そしてその時に、課題文に引いた線や、ちょっとしたメモが生きてくると思います。
たまに、課題文が白紙のままの状態で解く人を目にしますが、それは非効率なやり方でしょう。
ものすごく整理能力があって、一読しただけで文章の内容が簡単に頭に入ってしまう人以外は、
考えた跡を問題用紙に残すことが、かえって時間の短縮につながるのではないかと思います。

あつしくん(仮名)は、課題文に戻って確認する時間が惜しいみたいです。
その気持ちは痛いほどわかりますが、時間をかけて満点をとれないものは、
時間を縮めたらもっと得点率が下がります

いまこの時期はまず、時間をかけても満点を取ることを目指すことが先決だと思います。